上村ゆかこ
ネオテニイの成長記録
アーティスト名:
上村ゆかこ
日本の成人女性の内側で進化の道を突き進むネオテニイの「もへ」の成長を記録、観察しています。
ネオテニイって何?って方は下記の当方ウェブページをご覧下さい。
主な活動はウェブ上で経過報告とネオテニイの概念の普及とネオテニイの発掘。
GEISAI#11では中間報告としての大型の作品と記録ファイルを展示しました。
#12の申し込みも完了済。このブログ、#12まで継続して使えるようなので、これからも引き続きよろしくお願いします!#12は趣向を変えて、今までの進化が一望できる展示を予定。是非遊びに来てください。
GEISAIブログは全体的にコメントのやりとりが少ないですが、今後は是非書き込みをして盛り上げていきましょう☆
HP;http://girl.pya.jp/neoteny/
出展履歴:
GEISAI #12/ブースNo.B-048
GEISAI #11/ブースNo.E-016
GEISAIミュージアム #2/ブースNo.F-156
GEISAI #10/ブースNo.C-035
さいごのご挨拶(まだ書けた!)

おはようございます。
GEISAI#13参加した皆様、おつかれさまでした!
朝起きて、どうなったのか管理ページを開いてみたら、
なんとまあ、まだ「新しい記事を投稿する」のボタンがある。
ので、試しに投稿してみる次第。
もしかしたら、今日スタッフさんが出勤して手をかけるまでは生きていられるのかも。
参加者の皆さま!
レポ投稿するなら今ですよ!(期待)
10月いっぱいこのブログトップページにリンクを残す最後のチャンスです!
(入り口がもうないので、一般の方が見る可能性は低いですが)
さて、投稿はこれでさいご。
引っ越し先はこちらです。
http://www.loftwork.com/user/4724/本家HPはこちら。
http://girl.pya.jp/neoteny/mixiにもいます。
超GEISAIコミュに参加しています(読む一方ですが…)。
これからも日記は書き続けますので、
引き続きのおつきあい、よろしくお願いします。
今までありがとうございました。
これで本当にGEISAIブログはおしまい♪
●●●引っ越し先のおしらせ●●●

ブログが閉鎖する前に、とりあえず引っ越し先を決めて連絡しなければと思い、
とりいそぎ引っ越しいたしました。
といっても、#12以降の過去のエントリをコピペしただけですが。
引っ越し先はロフトワークのブログサービスです。
ふつうのブログサービスも考えたのですが、どこのアートカテゴリも
自分の趣味とはどうも相容れない感じ。
で、結局元々アカウントを持っていたことと、もともと読者をたくさん獲得しようっていうページじゃないので、
少しでも同族との接点が得られそうな場所に決めた次第。
アドレスはこちら
http://www.loftwork.com/user/4724/思えばこのブログも超不定期ながらそこそこ長く続けてきました。
おかげで微妙にランキングバーに居場所が確保でき、
GEISAIで「ブログ読みました」と声をかけてもらえたりして、とてもうれしかったです。
だから、なくなってしまうのは、とてもさびしい。
それにGEISAI#13は参加できない分他の方のレポートで気分だけでも味わいたかったので…。
でも、#13当日で更新は終了ということは、それももはや叶わぬ願いとなりました。
どなたか滑り込みでいくらか記録していただけるとうれしいのですが、当日夜はきついですよね(>_<)
わたしはしばらく育児で表現の現場からは遠ざかりますが、
ここで得られたインスピレーションやつながりはなくさないように、大切にしていきたいです。
…なので、よかったら皆様も引っ越し先が決まったら、ぜひ教えてくださいましm(_ _)m
また、すでにロフトワーク在住の方も…。
さいごに、
GEISAIスタッフの皆様、
GEISAIブログを書いていた作家の皆様、
閲覧していただいた皆様、
いままでどうもありがとうございました。
こうして作家さんがたくさんいる中で書いたり読んでると、
制作から離れていても気持ちをつなぐことが出来るので
とても貴重でした。
残り少ないですが、更新楽しみにしています☆
新生児アカンヴォリオン

少しずつ。
首を持ち上げたり、ものを握ったり、泣いてても声をかければ泣き止んだり、
だんだんこの世界の秩序に慣れてきた様子の我が子。
でも、当然ながらまだ歩きません。
人が産まれてから歩くまでにかかるのは約一年!
シカは産まれた日に立ち上がるのに、
人間にとって、シンクロ率をあげるのはとても大変なことみたいです。
初回でエヴァを歩かせたシンジくんは天才です。
(むしろ歩いたエヴァが天才なのか?)
うちのアカンヴォリオンだったら、地上に射出されたとたん、
反射で足を突っ張って後ろに転倒、手足をばたばたさせて終了。
二度と起き上がれませんよ。最終回でもハイハイしてないかもですよ。
と、言うどうでもいい話はおいておいて。
突然ですが。
「赤ちゃんは、親を選んで産まれてくるのです。」
っていう話、良く聞くけど、産む前はなんだか妙にファンタジーがかってて、
都合のいい思い込みみたいに思っていた私。
どちらかというと、
「赤ちゃんは親の分身」「母と子の絆」
という方が、産んだらピンとくるんじゃないかと考えていたのです。
が、
実際自分の赤ちゃんと対面して生活する中で思ったのは、
私の分身?そりゃないわ。
絆とか…赤ちゃん別に母親だけ特別扱いするわけじゃなし、むしろそれって傲慢…
ってこと。
そのくらい、赤ちゃんと自分は別の人間、まったく異なった生き物だと思い知らされる日々。
はじめは一体だったなんてとても感じられない。
体を構成する物質的な物は確かにつながっているにしても、
魂は既にどこかにあって、たまたまこの体に宿りましたとさ。
という方がしっくりくる。
となると、
「赤ちゃんは親を選んで産まれてくる」
っていうような意思を、赤ちゃんが表現できないだけで既に備えていたという発想が、
むしろリアリティを帯びてくるという不思議。
もちろん、自分の子に対する理由なき愛情はある。
でも、そこには「自分と似ているから」「血がつながっているから」という理由すら
意識の上では感じられない。
それは多分第三者から俯瞰してみたときにそれが分かるのであって、
本人レベルでは、
妊娠して出産していまここに赤ちゃんがいる
という連続性がすべて、という感じです。
母が子に、母子の絆や血のつながりを感じるとしたら、
それはきっと赤ちゃんと自分の過ごす時間がもっと増えて、
もっとコミュニケーションがとれるようになってからなんだろう。
だからそれもさらに積み上げられた時間があるからこそなんだけど、
そこから振り返るから、過去にもそれが既にあったように感じるのかも。
自分が自分の母親とそれがあるのだと思うように。
実際、産まれて始めて我が子を見たときは、感動ってより、
不思議な気持ちだった。
あー、本当に赤ちゃんだ!赤ちゃん産んだの?本当に?みたいな。
だから、母子の絆って言うのは、親が時間を重ねることで、
子どもに作り上げてくれる生きるのに不可欠な幻想なのかもしれない。
とすると、家族を作るのは、血ではなく、時間。
時間は血より濃し!
今こうして風のように過ぎて行く時間、
本当は積み重なっていると思えば救われるわ〜。
●さいごに●
GEISAIブログ終了するみたいですね…。
とりあえずオフラインにダウンロードしておきますが、
このペースですので、投稿はさいごになるかもしれません。
皆さんはどちらかにお引っ越しされますか?
アート系の話がこんな調子で出来る場所があればよいのですが…。
ご助言あればうれしいです。
オッパイって本当に噴射するんですね。

お久しぶりです。
産後一ヶ月を過ぎいよいよ夫婦だけでの子育てが始まってから、
案の定…自分の時間が全く取れません。
というか、自分のことに時間を取ろうという気にもなりません。
ちょっとでも時間が出来たら、
いまのうちに夕食のおかずを…
いまのうちにおむつをたたんで…
いまのうちに拭き掃除を…
と、頭の中に思いつく家事をモグラたたき式に次々やっつけたくなる。
で、それも片付いてくると、今度は子育てに関する調べものや、買い物とか。
夕方散歩の時間だけは、赤ちゃんはだいたい途中で寝ちゃうので、
頭が自由になって、いろんなことを思いついたりして、
これを日記に書こう〜なんて思うのだけど、
家に帰るとそれを書き留める余裕はなく、脳の彼方へ消えて行くのであった。
でも、予想外だったことも。
それは、
赤ちゃんの泣き声。
実は街や電車で聞かされる赤ちゃんの泣き声。
私はとても苦手でした。
そわそわして、イライラして、とても聞いていられない。
口では可愛いね〜なんて言っていても、
心の底では一刻も早くなんとかしてくれ〜!っていつも思ってました。
だから、自分の子供の泣き声に耐えられるのか。
それがとても不安で。
が。
ウンチやガスのせいでか、ほとんど一日中泣いているようなこともしばしばなのに、
産まれてまもなく二ヶ月、
赤ちゃんに関してほんの一瞬でも「イラッ」としたことがない。
泣き声、全然平気。
どころか、全身を使って必死になく姿が可愛いからこのまま見ていたいと思うことすら…
(かわいそうだし、近所迷惑なのでしないけど)
なんでかな、と最初は思ったけど、
それは多分母性本能
ではなく、
その泣いている原因を取り除いてあげられる
あるいは原因が何となくでも分かっている
からではないかしらと思った。
街で出会う赤ちゃんは初対面だし親でもないから、
なんで泣いているのかも分からないし、どうすることもできない。
赤ちゃんだけがそこにいるのではなく、親もいるわけだから、
それをなんとかするのは親であって自分ではない。自分の出る幕じゃない。
でも、何かを訴えている泣き声は聞こえるので無視できない。だから。
→なんとかしてくれ。
となったんだろう。
当時はなぜ親は平気な顔をして…早く泣き止ませないのだろうか、と思うこともあったけど、
今は、赤ちゃんにとって泣くことは、唯一のコミュニケーション手段みたいなものだから、その要求を無視してただ泣き止ませたってしょうがないということも分かってきた。
ドラクエのコマンドが「たたかう」ならぬ「泣く」しかない状態ってかんじ?
おなかがすいても、ウンチが出そうでも、眠くても「泣く」。
それがレベルが上がるとコマンドが増えて行くのね。先は長いけど。
それにしても一度きりの人生、どんな生き方をしてもいいと思うけど、
いろんなライフステージを経験してみるもんだ。
その度に寛大になれる気がする。
分かっていれば嫌じゃない、ってことはたくさんあるのね。
そういうわけで、育児に入ることで世界が狭くなる不安もあったけど、
見ず知らずのいろんな人に話しかけられるようになったりもして、
実際は外から見るより育児の世界は広いです。
これからもっと大きくなって自己主張が激しくなったら(今の段階でもかなり我が強い子だと感じる日々なので…)
もはや自分でコントロールできなくなるから「イライラ」するんだろうけど、
いまのところは、精神的には元気です♪
肉体的には湿疹再発でぼろぼろですがorz
それだけに育児が逆に癒しの今日この頃…。
芸術から遠ざかる勇気を

今日は終戦記念日です。
この時期になると、いろんな場所や放送局で、戦争について考えるためのソースを見ることが出来るけれど、
当事者が本当に伝えたいと思っているリアリティを、
果たしてうまく伝えることが出来ているだろうか、と考える。
昨日まっきと、そんな話をしていた。
私の出産に立ち会ったことで、まっきは人が死ぬ瞬間と、産まれる瞬間を両方見たことになった。
で、思ったという。
ビジュアルで伝えるのは、無理だ、と。
ちょうど最近のニュースで、教諭が妻の出産シーンのビデオを授業で見せて、
苦情を受けたという話があったけど、
映像が伝える生の瞬間のグロテスクさのインパクトは、
戦争教育として、原爆の悲惨な絵や写真、映像を見せる、
そのときに子どもたちが受けるショックに似ていなくもない。
その強烈さに、引いてしまう人も多い。
「怖い」「気持ち悪い」「見たくない」
こうした反応に対しての、
現実から目を背けるな、忘れてはいけない、知らなくてはいけない。これが真実なのだ。
という、意見はもっともだ。
でも、こういった生死の瞬間のインパクトを映像で伝えようとしても、
体験したことのない人間には、その衝撃的なビジュアルの内側にあるもの、意味するものは、
その映像の強烈さがかえって壁になって、伝わらないのではないか、
それで興味を持ってもらえるとしたら、その強烈さに興味や好奇の目を向けているのにすぎず、
生命の尊さや、戦争の罪深さをリアルに感じているわけではなくて、
目をそらす人はといえば、あまりにショックで頭では分かっていても、
映像からリアルにその意味を感じ取る余裕はない。
で、結局紋切り型の感想を述べてみるしかない、で、おしまい。
なのではないか、と。
なるほど。
わたしもその話には納得した。
写真を撮っていると、過度に加工することへの罪悪感とか、
何がリアルで、何がフィクションかとかを考える。
どこまで現実に対して誠実であるべきか。
事実をありのままに伝えるのに邪心が入ってないかとか。
でも、この話を聞いて、その誠実さは傲慢さでもあるのかなと思った。
「ありのまま」は、主観なしに成立しない。
実際の体験なしに、ビジュアルだけで「ありのまま」を表現できるということこそが、幻想。
ありのままの映像を、嫌悪や拒絶、好奇の目で迎えられることを
不当だとか不誠実だとか文句を付ける方が傲慢なのかもしれない。
で一方、芸術作品は、その傲慢こそが正義。
伝わらないということを、伝える存在というべきか。
「あなたはこれをどう見るのか?」
と、挑発的に問いかけて、
嫌悪や拒絶、好奇の目を無意識に向けてしまう鑑賞者自身の内面を暴いたり、
分かる振りをしようとする虚栄心を自覚させたり。
傲慢であることが、存在意義になる。
でも、「なんとしても伝えたい」と思うなら、この傲慢さは、邪魔にしかならない。
戦争や出産にまつわる映像を通して、
芸術をしたいのか、
リアルな感情を伝えたいのか。
まずそれをはっきりさせること。
そしてリアルな感情を伝えようと思うなら、「ありのまま」のビジュアルはむしろその目的を果たせないということ。
こんなことを考えるとき、人に自分の気持ちを伝えることは芸術よりも難しくて、
芸術という言葉が、甘えにも似て聞こえたりもして、
ちょっと反省したりもするのです。
芸術的であろうとすること、表現に誠実であろうとすることは、
誰かと心を分かち合うには、ときに忘れなければいけないのかもしれません。
●写真はまっき撮影
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芸術から遠ざかる勇気を
最新のコメント
>おーはらさん 世代ですかね。なんか自然にそう実感してしまいました。 >と〜ますさん ええ!どなただか気になります!同窓会いきたかったなあ〜。マイナーキャラの私の噂が出たこと自体びっくりですが、どなたとお話ししたのでしょう?今度正体をつかむヒントをください♪
私(男)は、上村ゆかこさんの中学の同級生で、
3年間クラスも全く一緒になった事も無かったのですが、
何かの機会に、10分ぐらい話した事があります。
その時、個性的な子だと、感じました。
同窓会に行った私は、人からあなたの噂を聞き、
ちょっと、検索をしてみて、このサイトにたどり着きました。
内容が楽しく、深く、価値観が合うので、
ちょくちょくこのサイトを見させてもらおうと思います。
それと、赤ちゃんのレベルが上がるにつれ、「泣く」以外のコマンドが増える、というのには笑いました。いい発想だなぁ。
>LUMMYさん ありがとうございます!そうです!あのときおなかにいた子が出てきました。確かに作ったし育てたけど目に見えなかった物が目に見えるようになるのは何とも不思議なものですね。
きゃーーーーーー!
おめでとうございます(*´ω`*)
3月のGEISAI#11の時、お腹の中にいたベイビーたんですね☆
出産という大仕事?お疲れ様でした!
そしてこれからの育児も、どうぞご無理なさらずに、ベイビーたんと
一緒に、素敵な人生を!!!
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