






絶望=苦悩-意味
右辺の意味を左辺に移項すると
絶望+意味=苦悩
なるほど、アウシュビッツの強制収容所入ってただけの事はあるニャ。ヴィクトール・フランクルはただ者じゃ無いニャ。
ピーター・フランクルも好きだけどニャ。
首を吊ってしまいたいと思う事もしばしばだけど、吊るのはいつも右足の小指だし、この前なんてふくらはぎ吊ったら死ぬほど痛くて、そんな事で死ぬほど痛いと言ってる内は、首なんて吊れないな・・・そんな考えを巡り巡らせてた去年ニャ。
ついこの前、フランクフルトが食べたくなったから作り方を調べようと思ったら、“フランクル 作り方”とミスタイプニャ?。
そこでたまたま知ったヴィクトール・フランクルな訳だニャ。
なるほど、僕は絶望していたんじゃなくて、苦労をしていたらしいニャ。
僕が毎日思考している事には意味があるから、僕がしていた事は絶望じゃなくて苦悩なんだニャ。
苦悩と絶望は違うんだ・・・ニャ。
生きてれば毎日苦悩はある訳で、僕はたまたま苦悩して前に進もうとしても進みにくい場所に居るから、絶望と勘違いしてたんだニャ。
そうか、のりピーみたいに常にトランス状態で、右肩上がりっぱなしの人生ってのは、それこそ病的かも知れ無いと言うか、病気にでもならないと味わえない感覚だろうニャ。
と言う訳で、僕はこれからも苦悩し続けるニャ。
あ
今日は2月22日、222でニャンニャンニャンって事で、猫の日だニャ。

今までに、WEBやら個展やらゲイサイのようなイベントで、作品と自分を伝え続けた僕ですが、やっとここまで来たかという感じです。
自分の意思とは無関係に歩き出す・・・
現在、個展会期中でもありますが、正直、今後どうなっちゃうのか、自分でも怖いです・・・・。









