>>前回までのあらすじ
約束の地を求めて旅するEXCALIBURは、
大江山、
ハクレイ酒造、
ビューランド、
智恩寺と冒険し、龍の背に位置する
海流に辿り着いた。
その海で、何処からとも無く声が聴こえる。
その声に導かれたメンバーは、遂に7人目のメンバーと再会し、一路、
京丹後に向かう。
一方、その頃、
皆原へワープしてしまったメンバーは、幼き記憶の断片に触れる。
其々のメンバーが、其々の経験を積み、今、再び、天橋立に集う。
しかし、約束の地を目前にして、メンバーは、
府中において、大ダメージを負ってしまう。
果たして、この物語の先に、光は訪れるのだろうか?
7TH STAGE: 籠神社
籠神社は、宮津市大垣にある、丹後国一宮の神社です。
この神社は、
元伊勢と呼ばれる神社の一つで、元伊勢とは、現在、伊勢神宮に祀られている、
天照大御神と、
豊受大御神の2柱が、かつて、祀られていた神社の事を言います。
「Wikipedia」を見る限り、天照大御神は、引っ越ししまくっていますが、豊受大御神は、現住所の豊受大神宮を含めて、5ヶ所です。
更に、天照大御神&豊受大御神コンビが、両神とも祀られた、即ち、住まわれた神社は、籠神社だけみたいです。
さすが、セカンドレベルドメインを"motoise"にするだけの事はあります。
雰囲気的には、豊受大神が住んでいた籠神社に、天照大神が居候をしに来て、その後、旅立った天照は、皇大神宮という終の大邸宅を手に入れたけれど、かつて、真名井原で過ごした青春の日々を懐かしみ、最高の相方である豊受を呼んで、近くに住んで貰った。というトコロでしょうか?
因みに、両神とも女神です。
正に、「
magnet」
…。
すみません。

こちらは、籠神社の狛犬です。
鎌倉時代の彫刻で、重要文化財らしいです。
余りにも見事な作品であった為、魂が宿り、夜な夜な天橋立に現れて、悪さをしたらしく、時の剣豪、
岩見重太郎に脚を切断され、それ以後、悪さをしなくなったらしいです。
…。
きっと、股のぞきし過ぎて、頭に血が(ry

こちらは、「倭宿禰命像」です。
倭宿禰命とは、籠神社の社家である、海部氏の4代目で、
神武東征の際、亀に乗って
神武天皇の前に現れ、大和国へ先導したそうです。
…。
随分、のんびりとした遠征ですね。若しくは、異常に足の速い亀とか?まぁ、神代だから、空も飛ぶか。「エレワ」の猫みたく。
子供の頃は、素で、浦島太郎(水江浦嶋子)と間違えていました。
すみません。
だって、「
丹後国風土記」とか、
嶋児神社とか、
福島神社とか、
浦嶋神社とか、この地域の"推しメン"浦島さんなんですもん。
そりゃ、間違えますよ。
倭宿禰命さんの方が、"元祖 乗亀"みたいですが。

境内には、何故か、
水琴窟もありました。
水琴窟とは、江戸時代の作庭家、茶人である、
小堀遠州が考案した洞水門を源流に持つ装置で、地中に埋めた瓶に水滴が落下するよう細工し、瓶の内部で反響した水音を、地中から伸びた竹に耳を当て、聴き入るという、真に雅な装置です。
言うなれば、当時の超一流アートディレクターが考案した、日本最初の音響インスタレーションとも呼べるのでは無いでしょうか?
当サークルは、以前、この水琴窟を現代的にリミックスした音響インスタレーションを展示しようとした事があり、それ自体は、当サークルの力不足により失敗してしまったのですが、そういった経緯もあって、水琴窟には、人並み以上に関心があります。
首都圏近郊ですと、創造学園大学に設置されているみたいですので、酒井被告も、この音色を聴いて心を浄められる事でしょう。
籠神社のサイトでは、雪舟「
天橋立図」は、時の宮司が依頼して、描いて貰った品と書かれていますが、もう一方で、
智恩寺 多宝塔の建立奉行であり、籠神社別当大聖院の僧、智海が依頼して、描いて貰ったという説もあります。
個人的には、智恩寺に分があるかな?と思います。
幾ら、神仏習合、所謂、メディアミックスの時代とは言え、籠神社の関係者が依頼したと考えるよりは、臨済宗(妙心寺派)の禅寺である、智恩寺の関係者が、臨済宗(相国寺派ですが…)で修行した禅僧である、雪舟に依頼したと考える方が、より自然かな?と思います。
しかし、画面右側の籠神社、画面左側の智恩寺、共に中心に配置する訳でもなく、あくまで、主題は天橋立である事から、依頼者は、当時、丹後国を治めていた守護大名、一色氏の関係者と考える方が、更に自然かも知れません。
因みに、智恩寺 多宝塔が建立された由来は、当時の守護代、延永春信が大病を患った際、智海が祈祷してくれた事に対する、感謝の気持ちみたいです。
この3組織と全てコラボしている智海さん、パネェッス。
此処で気になる人物がいます。
一色義秀さんに、ご登場して頂きます。
「Wikipedia」に依ると…
"初め僧籍にあったらしく「周儀侍者」と呼ばれていた(『蔭凉軒日録』)。"
で、「蔭凉軒日録」とは、相国寺鹿苑院の住職の補佐役"蔭凉軒主"の公用日記だそうです。
相国寺と言えば、雪舟が禅と絵の修行を積んだ寺院です。
つまり、一色義秀は、臨済宗の禅僧であった可能性が高いのかな?と。
まぁ、足利将軍家自体が、臨済宗と深い関係だったみたいですし。
1498年 一色義秀、国衆の叛乱の末、自害。
1498年~ 延永春信、台頭。丹後国、混乱。
1501年 延永春信「智恩寺 多宝塔 feat.智海」、落成。
1501年頃 雪舟「天橋立図」、完成?
1506年 雪舟、死去(1502年とする説もある)。
因みに、智海さんは、生涯で10万体くらい"
不動明王"を描いた画僧でもあり、智恩寺 多宝塔にもタギングしています。
並みのグラフィティライターのタギング量ではありません。
やはり、パネェッス。
「天橋立図」は、勿論、好きですが、それは"故郷補正"もあります。
個人的には、「秋冬山水図(冬景図)」の方が"ヤバイ"と感じます。
雪舟「天橋立図」が、真筆の可能性は、100%なのでしょうか?
智海「天橋立図」が、成立する可能性は、0%なのでしょうか?
この辺の件を、巧く脚本化出来ないかなぁ…。
若しくは、第三者である、名も無き画僧?
若しくは、将来、室町時代にタイムスリップする事になる、俺?
この辺の件を、巧くラノベ化出来ないかなぁ…。
アニメ化の際、ヒロイン役の声優は、釘宮理恵さんで。
完璧。
因みに、「JIN -仁-」は、観ていません。
この頃、丹後国は、混乱を極め、多くの血が流れていたようです。
つまり、「天橋立図」は、当時の地方公共団体をクライアントとした、レクイエム&観光促進の意味合いを持つ、グラフィックデザインだったのかな?と考えます。
今で言う"萌えおこし"みたいなモノかな?と。
まぁ、当時、天橋立を含めた付近一帯を境内(神域)としていた籠神社からすれば、「天橋立図」は"ウチ"を描いたようなモノという主張も分かります。
右に籠神社、左に智恩寺を配置する、国宝「天橋立図」は、観れば観るほど、神仏習合の懸け橋のような、神聖な宇宙観があります。
たとえ、下絵で有ろうとも、真筆で無かろうとも、です。
先程、"智海「天橋立図」が、成立する可能性は、0%なのでしょうか?"と書きました。
と言うのは、生涯で10万体くらい、密教特有の尊格である、不動明王をタギングした智海さんは、明らかに、真言密教をバックボーンとしています。
智海が、多宝塔の建立に携わった智恩寺は、元々、真言宗だったそうです。
智海が、「木造不動明王坐像」の造立に携わった、「天橋立図」にも描かれている大谷寺は、真言宗みたいです。
「天橋立図」にも描かれている(第1を智恩寺、第2を籠神社として)第3の重要拠点、成相寺は、真言宗です。
真言密教と言えば、そう、"曼荼羅"です。
「天橋立図」と"曼荼羅"の共通項として、西方極楽浄土の思想から来ているであろう、方角の"西"を、画面の"上"と定めている点が挙げられます。
曼荼羅には、神仏習合の本地垂迹説から来る、神道系の曼荼羅があります。
つまり、「天橋立図」とは、智海が描いた、神社境内の風景を俯瞰的に描く曼荼羅ジャンル、"宮曼荼羅"の可能性は無いのか?という事です。
若しくは、雪舟「天橋立図 feat.智海」じゃ、駄目?
まとめます。
雪舟「天橋立図 feat.智海」は、地方公共団体をクライアントとして、"宮曼荼羅"スタイルをサンプリングした、レクイエム&観光促進の意味合いを持つ、グラフィックデザイン。
天橋立は、元々、籠神社の参道だったらしいです。
つまり、天橋立に行くという事は、最初から、この神社に行く事を"約束されていた"という事では無いのでしょうか?
…。
はい。無理矢理です。
遂に、約束の地へと辿り着いたEXCALIBUR。
永きに渡り、繰り広げられた冒険の日々も、終わりの時を迎えた。
全ては語られた。
メンバーの誰もが、そう感じた。
世界に光が訪れたのだと…。
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丹後一宮 元伊勢 籠神社天橋立観光協会