
今回は深夜から車で熊本へ帰省。
途中、高速パーキングにてタイヤがパンク!
初めて、スペヤタイヤを交換、周囲の旅行者の方々がいろいろアドバイスしてくれ重大事故を回避できた。
下手したら、少し寝ぼけてたし、九死に一生という場面になりかねなかった。
アートのことばかり毎日考えていて足下をきちんと把握するという。。。教訓めいた暗示かなと精神をリセットし直したのでした。
そして、今回art horymen作品を客観的に眺めながら。
ネガティブな要素が強い、暗いテイストも再確認。
でもって社会に置ける芸術家の役割に少し思いを馳せる。。。
最近よく考えるのが、芸術家は正論を唱える必要はない、というもの。
地球きれいにしましょう!みんな仲良く元気よく頑張って生きていきましょう!
みたいなことは政治家に任せてよいよね。
みんなとの一体感!!!とか、野外フェスとか行けばたっぷり味わえる。
南極の氷を火炎放射器で焼くパフォーマンスを行う人がいたとして、芸術家の行為であれば意味が出てくる。
(今の人類が行ってることはこういうことだ。。。)
というような。
これを旅行者や政治家が行えば社会的に弁解の余地の無い犯罪行為なるはずだ。
僕が日本でアート活動を始めてからは社会的に芸術家を受け入れよう、という気風を大きく感じて来たが(マーケットがどうのという話も含めて)
しかし芸術家の根本って、反社会的な存在じゃね?
岡本太郎の存在が脳裏をよぎる。
社会に(マーケットに)受け入れられようというアーティストの姿は本気の文学/映画とかのクリエイターに逆に見下されてしまう危険性も孕む、と考えてしまう。
HORYMANは、顔もでたらめだし、棘も生えてて目つきも悪い。
ですが??